湖北残照・番外編 ~江戸の江~

湖北残照・番外編 ~江戸の江~

 

化粧面谷公園

化粧面谷(けしょうめんやと)公園(こうえん)

 変わった名前の公園である。

 しかもこの公園、無事に辿り着くのが難しい。

 横浜市青葉区と川崎市麻生区との境界から少し川崎市側に入った住宅地の真ん中に、ひっそりと存在している公園だからだ。

 地図を見て私が選択したルートは、田園都市線あざみ野駅から歩くコースだった。距離的には小田急線柿生駅からの方が近かったのだが、私が住んでいるのが横浜市であることと、化粧面谷公園に行く前にもう1ヶ所、行っておきたい目的地があったからである。

 江戸における江の面影を訪ねる旅が、どうしていきなり川崎や横浜なのだろうか?

 実は、この化粧面谷公園がある辺り一帯の土地は、今では主に川崎市麻生区王禅寺町という行政エリアとなっているけれど、かつては徳川幕府が直接管理する御用地で、特に2代将軍秀忠の時代には、正室である江の化粧料地であった土地なのである。

 化粧料地とは、この土地で取れる米などの作物が徳川幕府に納められ、それが江の化粧料となったということだ。どのくらいの広さがあってどれくらいの石高があったのかはわからないが、江がそんなに毎日、念入りに化粧ばかりをしていたとは思えない。

 むしろ、信心深い江が寄進する社寺の建造費であったり、そういうものの費用に充てられたと考えた方が素直ではないかと思う。

 実際には、女性である江がこの辺りの土地を訪れたということはなかったかもしれない。しかしこの地には、夫であり2代将軍である秀忠が鷹狩りに訪れ、当地名産の柿を「禅王丸」と自ら命名したとの話も伝わっていて、当地が秀忠や江と深いつながりのあった土地であることを物語っている。

 あずみ野の駅を降りた私は、駅前から西方向に伸びる大きな道を歩き始めた。

5月の太陽は強さを増して照り付けてきたけれど、同時に爽やかな風が吹き過ぎて行って、それほどの暑さは感じない。どこからともなくジャスミンの花の香が漂ってきて、気持ちのいい休日の昼下がりであった。

 この辺り一帯は、かつては、なだらかな丘陵が連なり、緑豊かで長閑な土地であったのだろうが、今では新興の高級住宅街となっている。

300mほど歩いたところで道を右に折れる。

 左手に劇団四季の本社社屋を見ながら進んでいくと、坂が一段と厳しさを増していく。地図を見ただけでは高低差まではなかなか見分けられないけれど、実はかなりのアップダウンがあるのがこの辺りの土地の特徴でもある。

 それにしても、新しくて立派な一戸建ての家が多い。どのようにしたらこんな邸宅のようなきれいな家に住むことができるようになるのだろう?なんて下(げ)種(す)なことを頭の中で考え巡らしながら、額に落ち始めた汗を拭う。

 目指しているのは、満願寺という真言宗の寺院だ。

 予めプリントアウトしておいた地図を慎重に確かめながら、歩くこと20分くらいで目的地の満願寺に辿り着くことができた。

clip_image002 満願寺山門

 なぜ私が満願寺を訪ねたのかというと、この寺には徳川秀忠と江の2人の位牌が安置されていると聞いたからである。

 お寺なら横浜や川崎にもほかにたくさんあるのに、どうしてそれほど有名でもなく、さほど大きくもないこの寺に、秀忠と江の位牌があるのだろうか?

 どのような経緯で2人の位牌が満願寺に安置されるようになったのか、詳しい事情はわからないけれど、やはりこの辺り一帯が川崎市麻生区王禅寺町とともに秀忠や江の御料地であったことと何らかの関係があるのではないか、と推測することが極めて妥当な結論であると思われる。

 それほどの古さは感じないけれど、整然としていて落ち着いた雰囲気を持った趣のある寺だと思った。

clip_image004 満願寺・石仏群

 山門を潜った左手に石仏が何体も並べられている。そういえば山門の手前にも2体の石仏が置かれていた。いずれも江戸時代のものと思われる。

 今でもたいへん立派な寺であるけれど、民家も疎らで山野のような風情だったと想像される当時の御料地にあっては、非常に目立つ建物であったに違いない。鷹狩りの途中で秀忠が立ち寄ったことがあったとしても、それほど不思議は感じない。

 一説には、満願寺のある旧石川村(現在の横浜市青葉区元石川町、美しが丘、美しが丘西、あざみ野、荏子(えこ)田(だ)、新石川)は、増上寺の裏鬼門(鬼門=東北。その裏側であるから西南)にあたり、増上寺を守護する役割を担っていたとも言われている。

 徳川氏や徳川氏の菩提寺である増上寺とこの地域との並々ならぬ関係が想起される。

 残念ながら2人の位牌を直接見ることはできなかったけれど、本堂の柱に貼られた写真パネルと簡単な説明文とによって、どのような位牌かは知ることができた。

clip_image006 満願寺・秀忠と江の位牌の写真

 別の章(江・葬送の道)でも触れることになるが、寛永3年(1626)9月15日に江が亡くなった時、化粧料地だった石川村などの村々からは江の棺を担ぐために村人たちが集結したという。

 また、家康の命日(17日)、秀忠の命日(24日)、江の命日(15日)には、子孫代々精進物を用いることとし、彼らを祭る行事が執り行われたとも伝えられている。

 領主と領民とが心情的に非常に近い距離にいて、温かな主従関係が構築されていたことが窺えるエピソードである。徳川幕府が樹立してまだ間もない時期で、将軍の権威もまだ十分には高からざる江戸時代初期のこぐ短い間の、古き良き時代だったのかもしれない。

 江が亡くなった後にこの土地は、秀忠や江の廟がある増上寺の御霊屋領(みたまやりょう)となった。引き続き、村人たちの労働から得られた産物は、秀忠や江の霊を祀るために使用され続けたのである。

 満願寺を後にした私は、もう一つの目的地である化粧面谷公園を目指して、再びアップダウンのきつい坂道を歩き始めた。

 再びあざみ野駅前から西に向かう大きな通りに出て、ひたすら坂を上り坂を下りる。途中、もみのき台という交差点で道を右に曲がり、またひたすら歩き続ける。高級住宅街から一転して、大規模に開発された住宅団地が左右に現れた。

 すすき野2丁目交差点を左折し、虹ヶ丘公園東交差点を左折する……。

 知らない土地に来て道に迷わない秘訣は、曲がり角を間違えないことである。私は予め用意してきた地図と現地とを何度も見比べては、慎重に曲がり角を見定めながら歩いていった。

 かれこれもう私は、40分以上もの道程を歩いている。こうして自分の足で歩いてみると、江の化粧料地がいかに広大なものだったかを実感する。すでに私は、体全体に十分に疲労を感じていた。

 虹ヶ丘公園を過ぎて細い道に入っていくと、また閑静な住宅街となる。ここまで来ると、ゴールである化粧面谷公園は近い。

 やがて、化粧面谷公園までの最後の目印となる琴平神社の鳥居が見えてきた。我ながら、意図したとおりに完璧に歩いて来られたことに安堵する。

 琴平神社も、秀忠や江に所縁(ゆかり)のある神社であるようだ。神社に伝わる古文書のなかには崇源院(江の院号)の名前も出てくるという。化粧面谷公園に行く前にちょっと立ち寄っておきたいところだったのだが、琴平神社は平成19年6月29日に放火により本殿が焼失してしまい、現在は再建工事中で境内に立ち入ることができなかった。

clip_image008 再建工事中の琴平神社

 諦めて、先を急ぐことにする。

 王禅寺会館という小さな集会所を左に曲がり、細い道を少し行くと、右側に階段となっている小道が出現する。私の地図が正確であるなら、この階段を上りきった先に、目指す化粧面谷公園があるはずである。

 それにしても、この小さな公園をピンポイントで探し求めることは、至難の業のように思われる。運良く迷わずに辿り着けたことを、私は非常に幸運に思った。

 化粧面谷公園は、住宅街のなかに突然、ぽっかりと空いた空間のように突然我が眼前に現れた。

 小さな公園と書いたけれど、奥行きは意外と深くて、しかも起伏に富んでいる。入り口の傍らに、「化粧面谷公園 川崎市麻生区東禅寺東5丁目42-1」と書かれた看板が立てられている。間違いない。ここが目指した公園である。

clip_image010 化粧面谷公園の看板

 入り口を入ると、広場があって、設置された遊具で子どもたちが遊んでいた。

 私は、広場の傍らに設置されているベンチに腰掛けて、持ってきたおにぎりを頬張った。心地よい運動をした後に外で食べるおにぎりは、何にもましておいしい。もしかしたら400年前の秀忠も、こうしてこの辺りのどこかで、鷹狩りに訪れておにぎりを食べたかもしれない。

 領民たちが地元の産物や手作りのご馳走などを持って駆けつけ、その場でささやかな即席の小宴が始まったかもしれない。先に少し触れた禅寺丸という柿の話なども、そういう時に持ち上がったものなのではないだろうか。

 士農工商の身分制度がまだ十分に確立する前の、将軍と領民たちとの間の微笑ましい時間共有などを想像しながら、私は私で至福のひとときを過ごした。

 化粧面谷公園は、入り口から入った小広場がむしろ岡の頂上になっていて、下に向かって散策のための小道が伸びている。今では斜面にまで住宅が造られているけれど、昔はこのような岡がいくつも連なる丘陵地帯で、たまたまこの一角だけが公園として残されたのではないだろうか。

clip_image012 化粧面谷公園

 腹ごなしを兼ねて岡の下へと続くよく整備された小道を辿って公園の周囲を巡ってみた。小ぢんまりしているけれど、実に気持ちのいい公園である。

 私は大きく一つ深呼吸をして、この場の空気を思い切り吸い込んだ。ほんのりジャスミンの花の香りがする初夏の空気が、爽やかさを私の肺に吹き込んでくれた。

 満たされた思いで私は、あずみ野駅を目指して、元来た道を歩いて戻った。