湖北残照 1はじめに

はじめに

 滋賀はかつて、日本の中心だった。

 こう書くと、日本の中心は何と言っても天皇のいる京都でしょうと反論する人が多いだろうと思う。しかし私は真剣に、そう考えている。石田三成が佐和山城を居城とし、明智光秀が坂本に領地を賜り、羽柴秀吉が長浜城主となり、織田信長が安土に巨大な天守閣を持つかつてないスケールの城を築いた。

 織田信長を頂点に、天下人に最も近い武将たちが、こぞって琵琶湖畔を拠点としたことは、単なる偶然ではない。

 期間的にはそう長い期間でなかったものの、この時代の滋賀はまさに、日本の中心として輝いていた。キラリと光るスポットライトのような高輝度の光が、この時期の滋賀を一瞬だが照らし出した。彼らは、滋賀を拠点として、滋賀から天下布武を目指した。

 地理的に京都に近く、琵琶湖の豊かな水があり、交通の要衝でもある。武将たちにとってはまさに、天下を目指すに最適な土地柄であったのだと思う。

 今からおよそ400年前の滋賀、当時は近江の国と呼ばれていた地域であるが、その近江の国に焦点を当てて、私は旅に出ようと思った。京都と岐阜とに挟まれて、一般にはあまり知名度の高くない近江の国だが、実際に訪れてみると、何と奥深くて、味わいのある地域であることかと思う。私はすっかり近江の国の魅力に引き込まれてしまった。

 歴史に裏打ちされた伝統と文化。一言で滋賀の魅力を表わすと、そういうことかと思う。

 長くなるであろうこの文章のタイトルに残照という言葉を使ったのは、400年前の歴史の照り返しが、今でも滋賀に残っていると感じたからだ。

 ここでは、近江の国の特に北部、湖北と呼ばれる地方を中心に、歴史や文化と関わりのある土地を訪ねて、その土地土地で考えたことなどを綴っていこうと思う。地元の名産品に舌鼓を打ちたいし、季節を感じる風景にも出逢いたいと思う。そういうなかで、意外な発見ができたら楽しいと思うし、滋賀を訪れてみようという人の道しるべになることができればなお幸いである。