(付記) 本庄まつり体験の記

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 埼玉は私の故郷(ふるさと)である。

 生後間もなくの時期から大学を卒業して就職するまでの20年間以上を、私は浦和市(現さいたま市)で過ごしている。そんな私であったが、JR高崎線・本庄駅に降り立ったのは、実はこの日が初めてだった。

 不思議なものである。

地縁もないのに滋賀の地に度々足を運んでいる私が、故郷である埼玉の県北を代表する都市を今まで訪れたことがないとは。この奇妙な逆転現象をおかしく思いながら、私は本庄駅の改札を通って駅前の広場へと出た。

2時間以上の時間を費やし、現在住んでいる横浜から東京都を経て、ほとんど群馬県との県境に近い県北の地にまでやって来たのは、山口さんが胴幕を制作した本町(もとまち)の山車を一目でいいから見たいという欲求のためだった。

 平成22年11月3日、まつりの日の朝は気持ちよく晴れ上がった。

 かつての中山道六十九次の10番目の宿場町として栄えた本庄だが、これからまつりが始まるというのに、駅前の広場にも通りにも人影があまり見られない。相当の盛り上がりを見せる北関東随一のまつりと聞いて来たのに、ちょっと拍子抜けの感じがした。

 とりあえず、まずは山車を見たい。

 私は、がらんとしている駅前のメインストリートを北にまっすぐ進み、やがて交差した中山道を左に折れた。山車は12時に、この中山道を西から東にパレードすることになっている。私は、山車の集合地点となっている金鑚神社を目指した。

 山車の出発時刻までにはまだ1時間近くある。私の想定通りであれば、出発までの間は間近に山口さんの山車を見られるのではないか。そう思うと、自然と足が速足になった。

 中山道に入ると、沿道に屋台が建ち並びはじめ、いよいよまつりの雰囲気が少しずつ盛り上がって来た。しかしまだ人出はそれほどではない。

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 逸る気持ちを抑えながら、中山道を随分歩いた。後から調べてみると、駅から金鑚神社までは、2㎞弱もあることがわかった。遠いはずである。

 やがて目指す方向に何やら大きな物体が見えてきた。あれこそが、目指す山車に違いない。私の心はさざ波立った。

 果たして、私が遠目から見た物は、お目当ての山車であった。

 本庄まつりには、10基の山車が出る。そのうち8基が市の指定文化財であり、いずれも明治5年から大正13年までの間に造られたという年代物だ。

それぞれの山車にはテーマがあって、三重となっている台座の最上部には、日本武尊(宮本町)、武内宿禰(泉町)、神功皇后(上町)、桃太郎(照若町)、加藤清正(七軒町)、神武天皇(仲町)、太田道灌(諏訪町)、連獅子(南本町)、石橋(しゃっきょう)(本町)、素盞鳴(すさのおの)尊(みこと)(台町)の人形が鎮座している。

それぞれの町がどのようにしてそれぞれの山車のテーマを選定したのかはわからない。また、それぞれのテーマ間の関係も不明である。と言うよりも、関連性はほとんどないと言ってもよいのではないか。

実在の人物もいれば、物語のなかの登場人物もいる。考え得る当時のヒーローを寄せ集めた結果が、この10人になったということなのだろう。山車が制作された明治から大正にかけての庶民の意識が反映されていると考えると、たいへんに興味深い。

その10基の山車が一列に並び出番を待っている様子はまさに壮観だった。

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私は思わず山車に駈け寄り、夢中でカメラのシャッターを切っていた。

 山車はパレードの順番に並んでいる。

 山口さんが胴幕の制作を担当した本町の山車は、4番目ということを予め知っていた。私は前から4番目の位置に据えられた山車のもとに、一目散に駈け寄った。

 真っ青な空の下、午前中の柔らかな太陽の光を受けながら、山口さんの山車は静かに出番を待っていた。その気品の高い姿に、私は息をのんだ。

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 本庄まつりの山車の構造は、4輪の台車の上に、鐘や太鼓や笛などを奏でるお囃子衆が乗る囃子座が前面に据えられ、囃子座の後方に塔のように3段となった人形座が重ねられている。

 その山車の四囲を飾っているのが、山口さんが制作した胴幕である。

 台車の周囲を覆うようにして張り巡らされているのが、「稲妻地釘抜文様 納戸地」の腰幕だ。

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稲妻アップ

 

 ジグザグと縦に描かれた模様が稲妻を表している。落ち着いた青い色を基調とし、ところどころにオレンジや緑や紫などの鮮やかな四角い模様(釘抜文様)が散りばめられている。

 派手さはないが、日本の伝統的な色づかいを巧みに配し、たいへんに上品で洗練された幕に仕上げられている。

 山口さんはこの稲妻模様の腰幕について、次のように述べられている。(*)

  自然界の力と人々の痛みを和らげあらゆる苦悩を取り除く願いが込められて居ります。

 正面の囃子座には、能舞台を思わせる太くて力強い松が描かれている。

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「繍 鏡板 老松文様 金茶地」である。山口さんはけっして広くはない山車の正面の囃子座の空間を、崇高で気高い能舞台へと仕立てあげているのである。

囃子座の上部を取り巻く水引幕には、「丸龍並べに雲気文様 納戸地」という模様が描かれている。腰幕と同じような紺色の下地を背景に、横にたくさん並べられている丸い模様のようなものの一つ一つが、よく見ると龍になっている。顔を真ん中にして、長い体で丸い形を描いている。

龍丸龍並べに

その丸龍に朱や白や金の雲が纏いつく幻想的な模様だ。派手な色使いや意匠を拒み、日本古来の色合いとデザインとでさりげなくまとめあげた山口さんの力量が胸を打つ。

囃子座の破風屋根の上に飾られている胴幕は、「牡丹唐草文様 五色揚幕」である。古い寺院や歌舞伎の幕などでよく見かける緑、白、赤、黄、紫の五色の幕であるが、よく見てみると地模様として牡丹の花が唐草風に織り込まれている。細部にまで細やかな神経を注ぎ込む山口さんらしい仕事ぶりだ。

五色

この五色の揚幕ついても、山口さんは語っている。

  日本には中国から学んだ「五色の繒(きぬ)」の思想があり、陰陽五行説とは異なるも

のです。五色の絹を大きな石の上にかければ求める事が必ず叶えられると昔から信じら

れて居り、日本の古い神社では神殿に五色の絹が揚げられ、今日までもその信仰が生き

ています。

 山口さんの深い祈りが込められた五色の揚幕である。

以上が山車の正面だ。山口さんの胴幕は、山車の前後左右を覆っている。

山車の側面に回り込むと、1段目の台座には「毘沙門亀甲地聖獣文様五色」の胴幕が廻らされているのを目にすることができる。

台座の1段目は、正面以外の三方をこの胴幕が飾っている。五色の毘沙門亀甲紋を基調としているが、正面2段目の五色揚幕とは異なり、金糸を使用したたいへん豪華な織物となっている。

上方を丸めた小窓のような枠が散りばめられ、中には亀、麒麟、獅子、鳳凰、象、龍などの聖獣が鮮やかな色彩で織り出されている。

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山口さんは言う。

  中国の神仙思想の中で人間の死後、魂を浄土へ導く鳳凰と龍、四方の悪霊を払い、人々

を守る聖獣としての亀、象、麒麟等の文様です。

 山口さんは、これらの聖獣神鳥を山車の三方に配することで、邪悪な悪霊たちやあらゆる禍から山車と山車に関わる人たちのことを守ろうとしたのだろう。と同時にこれらの聖獣たちは、山車全体にたいへん上品で崇高な印象をもたらしている。

 台座の2段目の向かって左側には「桧垣地牡丹文様黒紅地胴箔」、

左側

右側には「桧垣地牡丹枝文様紅地胴箔」の鮮やかな唐織が配されている。

右側

 

 桧垣紋の豪華な金地に色とりどりの牡丹の花が惜しげもなく散りばめられている。能装束を彷彿とさせる華やかな色合いの胴幕だ。

 そして山車の裏側を、「狩野永徳筆獅子図」で締めくくっている。

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 雲間を連想させる金色(こんじき)の空間に金と銀の2頭の獅子が並んで立つ姿には力が漲っていて、壮観そのものである。

 これらの胴幕で飾られた台座の最上段で両手を拡げ、やや前傾姿勢を保ちながら立ち尽くしているのが、謡曲「石橋(しゃくきょう)」の主人公である獅子の化身である。「厚板・鱗に唐草華紋文様」の雄壮な装束に身を包み、白く長い髪を後ろに垂らしている。

獅子の化身

 鬼のような顔をして何かを叫んでいるような恐ろしい表情は、迫力に満ちている。高い山車の上から憤怒の顔で睨み降ろされると、私たちは地面に跪いてただひれ伏すしかない。

 ここで山口さんの胴幕をより深く理解するために、謡曲の「石橋」について簡単に触れておく必要があるだろう。

 主人公は大江定基が出家した後の姿である寂昭法師、場所は唐の清涼山である。寂昭は唐に渡って仏道の修行を続けるうちに清涼山に辿り着いた。文殊菩薩の浄土である清涼山には深い谷が立ちはだかり、寂昭の行く手を阻む。

その谷は、俗世界と天上界とを隔てる険しい谷である。僅かに自然にできた石が谷に渡され橋のようになっているのだが、苔むした一尺(約30㎝)にも満たない細い石の橋を渡ることはとてもできそうにない。

躊躇する寂昭のもとに一人の樵の童子が現れる。童子は、この橋は相当の修行を積んだ者でなければ渡ることは不可能だと言う。文殊菩薩の住むという浄土を目指した寂昭であったが、橋を渡ることを諦め童子の言に従い橋の袂で待つことにした。

やがて、文殊菩薩の使者である獅子が現れて勇壮な舞いを舞う。折しも牡丹の花が咲き乱れる季節であった。寂昭の前で舞いを終えた獅子は、再び文殊菩薩の許へと帰っていった。

謡曲「石橋」の話を聞いた後に改めて山口さんが制作した装束や胴幕を見ると、すべてを合点することができる。なるほど、両脇を飾る牡丹の花に後ろに控えるは獅子の絵だ。山口さんは謡曲「石橋」のストーリーに沿って胴幕を制作されたことがよくわかる

山口さんの言葉を引用しよう。

  最上段には文殊菩薩の浄土にいる獅子の雄壮な姿があります。装束の文様は稲妻に丸

龍・雲気・唐草等全て万物創造の元である気の思想に基づき、人間にとって欠く事の出

来ない自然界と神々の世界を具象化しています。稲妻は自然界の大いなる力で、特に農

耕に欠く事の出来ない水を呼ぶ象徴であり、雲気も天の恵みをもたらすものです。

  これらは文武両道の修行をし、心を養った武家の研ぎ澄まされた精神性が華やかに活

きています。「いざいざ花を眺めん。いざいざ花を眺めん。」と仰ぎ見る峨々たる巌の上

に牡丹が咲き乱れる中、獅子が舞い遊ぶ極楽浄土の世界を存分にお楽しみいただく事を

願って居ります。

 山口さんのすばらしいところは、単に能装束を復原する技術を修得するだけではなく、能が成立する背景に存する民衆の思想や信仰などの民俗学に関する深い知識を持ち、また能が武家の式楽として確立された江戸時代中期の精神をも深く理解されているところにある。

 だから、山口さんの作品は奥深いのだと思う。上っ面の技術のみに着目するのではなくて、内面に秘められた真実の姿を心の目でしっかりと捉えられているから、人々を感動させる作品を創り上げることができるのだと心から思った。

10基ある本庄まつりの山車の中でも山口さんが制作に携わられた本町の山車は、気品と上品さにおいて群を抜いている。

まつりを見に来る地元の人たちの間でも、本町の山車の胴幕を山口さんが制作されたことはかなり知れ渡っているようである。山口さんという名前までは記憶になくても、この山車は最近、偉い先生が創られたものだそうだ。そんな話が私の耳に幾度となく飛び込んできた。

山車の後部には、

  石橋人形装束新調 平成十六年九月吉日製作

  飾り幕新調 胴幕八張・水引幕一張・腰幕一張

  特打五毛金箔製造協力 金沢市株式会社今井金箔

           平成十九年九月吉日製作

  山口能装束研究所長

  浅井能楽資料館長  山口 憲

 と墨書された木の札がしっかりと括り付けられている。

能楽資料館3

 

10基の山車は正午に、華やかな打ち上げ花火の音とともに金鑚神社をスタートして、しずしずと中山道を歩み始めた。

 町の年寄の合図に従い子供たちが山車の綱を引き、正面の囃子座からは若い男女が奏でるお囃子の音が賑やかに唱和する。真っ青な空の下で、山車の登場によりまつりは華やいだ雰囲気に包まれていく。

 一度スタートしたら、その後はスムーズに山車が移動していくものと思っていたのだが、実際は全然違っていた。最初に出発した諏訪町の山車は、動き始めてすぐに止まってしまう。しばらくして再び動き出したかと思ったら、また少し移動したところで止まれの合図が出る。

 何か不都合な事態が発生したのかと、せっかちな私は不安な気持ちになってしまったが、町の人たちは一向に慌てている様子もない。これが町の人たちの自然のペースなのだろう。

僅かな時間に齷齪することなく、時の流れに従っておおらかに今という時間を過ごしていく。考えてみれば、それほど広くはない本庄の町を半日かけて夜まで練り歩くのだから、時間は十二分にある。私も本庄の人たちのペースに合わせて、今日一日はゆったりとした気持ちで過ごすことにした。

結局、諏訪町の太田道灌の山車を先頭にして、南本町(連獅子)、台町(素盞鳴(すさのおの)尊(みこと))、本町(石橋)、仲町(神武天皇)、七軒町(加藤清正)、照若町(桃太郎)、上町(神功皇后)、泉町(武内宿禰)、宮本町(日本武尊)の10基の山車すべてが金鑚神社を後にしたのは、花火の合図から30分に時間を経た後のことであった。

そんなのんびりとしたスピードだから、すぐに追いついてしまう。私は、山口さんの本町の山車を中心に何度も中山道を行ったり来たりしながら、晩秋の県北の風物詩を心ゆくまで楽しんだ。

正直言って私は、本庄に来ることを躊躇していた。

いくら山口さんが制作した胴幕を見るためとは言え、そのためだけに往復で5時間近くの時間を費やすことに大きな抵抗を感じていたのは事実だった。もしかしたら間近に見ることができないかもしれない。あるいは、5分も見れば事足りてしまうかもしれない。

しかし山口さんの山車を一目見た後の私は、思い切ってここまで来てよかったとの想いが心から湧き上がってくるのを快い気持ちで感じていた。私は母親に纏わり付く子供のように、山口さんの山車の周りを何度も歩き回り、そして夥しい数の写真を撮った。

穏やかに晴れ上がっていた長閑な晩秋の空模様であったが、上州に接する県北の町にはいつしか冷たい北風が吹きつけるようになっていた。相変わらず空は抜けるように青い。

山口さんの胴幕が、風に吹かれてはためいた。そこに陽の光が当たると、五色の金地に描かれた聖獣たちがこれまでとは違った色合いを放って輝き始めたのだ。山口さんの胴幕は、生きている。私は、思わず息をのんだ。

動かない場所で静かに見る胴幕も素晴らしいけれど、山車は元々動かすために造られたものであり、様々な気象条件や陽光のなかで見るとまた違った色合いや趣を呈する山口さんの胴幕は、本当にすばらしいと心から思った。

山車は中山道を左に折れて、駅前のメインストリートに達していた。朝来た時は閑散としていた駅前通りに今は人が溢れ、行き交う山車を飽かず眺めている。山車はこの後、市民プラザの広場に勢揃いして、広場を埋め尽くす大勢の市民と共に、夜の8時過ぎまで賑やかなまつりが続くのだという。

明日の仕事が待っている私は、そこまで山車に付き合うことはできなかった。上州から吹き付けてくる北風が冷たさを増し始めた4時頃、私は後ろ髪を引かれる思いで本庄の駅を後にした。

心に残ったものは、まつりの熱さと胴幕の清涼感だった。

 (*)「いざいざ花を眺めん 石橋」本町自治会 山車胴幕新調完成記念写真集より