関ヶ原合戦図屏風

  1. 当館ロビーの奥に、1枚目の写真の通り「関ヶ原合戦図屏風」があります。ずっと気になっていたのですが、調べてみました。関ヶ原合戦図屏風で調べてみますと、十数種類あるようです。決め手がないので、落款(3枚目の写真)を確認すると「狩野梅春筆」とありますので、関ケ原町歴史民俗資料館蔵の物と一致しました。この資料館の説明を引用させていただきます。

{嘉永7年(1854)のもので、狩野梅春の原本(彦根屏風)を翫月邸峩山(かんげつていがせん)という絵師が模写したものです。この合戦図屏風では関ケ原一帯の様子表現していますが、東軍の徳川家康は松や陣幕で隠され、対する西軍の石田三成についてもその姿は描かれていません。
関ケ原合戦図屏風は全国に10数点有り、その中でも直接、徳川家康が作らせたという「津軽屏風」(大阪歴史博物館蔵)が最古と言われ、その他については関ケ原を含め西美濃地方に多く残っています。現在、当資料館の1階にその複製が展示されています。}

また、別のサイトの説明には、この翫月邸峩山(かんげつていがせん)という絵師は腕前は驚くほどではないが、狩野梅春の原画を実に丁寧に模写しているとありました。

2枚目の写真は石田三成の家紋である「大一大万大吉」が見えるので写してみました。笹尾山に陣していた石田三成は小早川秀秋の裏切りをどのように見ていたのでしょうか。