彦根城

2.彦根城

  • 2008-12-01に投稿したものです。今年は、彦根城築城410年祭ということで、10年前の彦根城のブログを再度振り返ってみました!!

姫路城や松本城など現存する天守閣を持つ城は、全国でも僅かしかない(注1)。その中で、優雅な姿においては、彦根城の右に出るものはないと私は思っている。

clip_image008 彦根城天守閣

2007年は、その彦根城が築城されて400年にあたる年であり、400周年を祝う様々な行事が行われた。市を挙げての一大イベントに、全国から多くの観光客がこの城を訪れた(注2)。JR彦根駅に降り立つと、真正面に天守が聳える彦根山を望むことになる。駅から歩いて行けるロケーションは、ありがたい。

城下町の雰囲気を感じながら次第にお城に近づいていく気持ちは、悪くない。心地よい緊張と期待。途中の和菓子屋に立ち寄って、季節の和菓子などを食べながら歩くのも、旅の気分を盛り上げるのには楽しいかもしれない。やがて緑色の水を満々とたたえる濠が現れ、カギ形に曲がる城門をくぐると、もう城への登り口は近い。

彦根城は、井伊の赤備えとして有名な徳川家康の三河からの側臣である井伊直政の嫡子であり第2代彦根藩主である井伊直継が築城した城である。関ヶ原の戦いで石田光成率いる西軍を打ち破った家康が、その褒賞として井伊直政に佐和山城を与えたのが始まりであると伝えられている。

clip_image004 彦根城佐和口多門櫓

佐和山城は、彦根城からそう遠くはない場所に位置している。城郭的な観点からはむしろ優れていたと言われている佐和山城をそのまま居城とせず彦根に拠点を移したのは、落城した佐和山城があまりにも凄惨であったからだと言う。敗者の常とは言え、女子供までが城壁から身を投げて果てたという光景を想像することは心に苦しい。

呪われた城を捨てて心機一転、直継は彦根山を新たな居城と定めた。

彦根城は、典型的な平山城である。京都にも程近い交通の要衝に位置する彦根城は、関ヶ原に勝利したとはいえまだ秀頼が存命であった築城当時は、徳川幕府にとって重要な戦略拠点であった。さらに言えば、一朝京都で変事があった際には、御所から天子を擁してこの彦根城に匿う秘密の使命を帯びていたとの説まである。その説を裏付けるかのように、普通は城の正門を意味する大手門が、城の西南、京都寄りの位置に置かれている。

琵琶湖を背にするようにして聳え立つ天守までの道程は、長く険しい。不自然に遠回りをしながら、一気に標高差を克服することは、身軽な出で立ちの私たちでさえ容易なことではない。甲冑に刀剣を携えての城攻めは、さぞかし難航を極めるであろうことは想像に難くない。

しかしながら、緑に覆われた山道のような天守への道は、一方で心地よい。心が洗われるような木々の色と長閑に囀る鳥たちの声。流れ出ずる汗さえ、心地よいものとなる。もうすぐ天守に対面が叶うと思うと、苦しさが期待感へと変換されていく。

clip_image006 紀行文写真file 150 彦根城廊下橋

歩を進めていくと、左右を高い石垣に挟まれ谷のように仕組まれた道(掘切と言う)の行く手に、仰ぎ見るように架かる木の橋(廊下橋)が出現する。あと少しで天守閣という位置だ。いよいよ敵が本丸まで肉薄してきた際には、この木橋を焼き落して最後の籠城作戦を展開する魂胆なのであろう。その実戦のための防御施設が、今では周囲の景色に野趣を添えるアクセントとなっているから、またおもしろい。

長浜城から移築したと言われている重要文化財の天秤櫓を越えると、天守閣が優美に聳える本丸に辿り着く。

間近に仰ぐ彦根城の天守閣は、なんとお洒落で優雅なのか。

思わず誰もが足を止めて眺め入る。細部に金色の装飾が施され、戦いの道具として作られたとは思えない艶やかな姿に、400年前の井伊家の武士たちの意匠を感じる。彦根城の天守閣には、春爛漫の桜の花が実によく似合う。あるいは、琵琶湖を背景に真っ赤に空を染める夕暮れの天守閣も心に刻まれる風景であるかもしれない。

そんな淡い恋心のような思いを抱いて城内に入り込むと、思いは一転する。城の中は、戦国時代そのものと言ってもいいかもしれない。太い芯柱、薄暗い採光、手摺がなければ昇れない急峻な階段、石落しや狭間などの実践的な装備。そこには、戦いの目的以外のすべてを排除した厳格さがある。ひんやりとした木の冷たさが、感触として残る。ここは、江戸時代からの400年間を耐え抜いてきた城そのものなのだ。

唯一、そんな私の心を慰めてくれたものは、最上層から見下ろした彦根の街と静かな琵琶湖の湖面であった。井伊直弼も150年前に、こんな風にして琵琶湖を眺めただろうか。彦根の街並みはしっとりと落ち着いていて、琵琶湖の湖面はキラキラと静かな輝きを見せていた。

昇りの急峻さに比べて、下りは早い。気がつくと、彦根城博物館まで降りていた。博物館でみっちりと井伊家と彦根城の歴史を勉強して、彦根城を後にした。

彦根駅まで戻る道を少し遠回りして、京町キャッスルロードを歩いた。歴史のある城下町には食欲をそそる伝統的な料理や和菓子が多く残っている。受け継がれた伝統に新しい技術やセンスを加味して、新たな創作を売り物にしている店もある。そんな店の一つ一つを覗きながら彦根城の余韻を楽しんだ。何度も彦根山を振り返りながら。

clip_image002紀行文写真file 556 ひこにゃん

(注1) 弘前城、松本城*、犬山城*、丸岡城、彦根城*、姫路城*、松江城、備中松山城、

丸亀城、高知城、松山城、宇和島城の12城(そのうち、国宝は*印の4城のみ)。

(注2) 開会期間中の来場者数は、764,484人(彦根城築城400年祭実行委員会HPより)。

湖北残照

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