1.埋木舎

舟橋聖一の名著「花の生涯」は、直弼の生涯の友であり師匠となる長野主馬(後の主膳)が、初めて埋(うもれ)木舎(ぎのや)に寓居する井伊直弼を訪ねるところから始まる。先の彦根藩主井伊直中の十四番目の末子として生まれた直弼は、13人の兄全員が何らかの事情で藩主の座に就かないことにならない限り、藩主となることはできない。可能性がゼロに等しい環境の中で、生まれながらにして失意の人生を歩んでいたに違いない。埋木舎とは、花も実も付けぬままやがて朽ち果てていく我が身を例えて、自嘲的につけた名前ではなかったのか。

彦根城の天守を望むお濠の外側に面した場所に、埋木舎はひっそりと建っている。clip_image002[1]clip_image004

埋木舎表門(写真左) 埋木舎玄関(写真右)

折からの築城400年を祝う祭り気分の華やぎの中で、格調高く聳える天守閣を訪れる観光客は多いのに、メインストリートからほんの僅かだけしか離れていないこの埋木舎を訪のう旅人は、あまりにも少ない。彦根城の天守を直弼の象徴のように思う人は多いのかもしれないが、むしろ直弼の原点はこの埋木舎にある。

初めて私がこの埋木舎を訪れた時に強く心を惹かれたことは、ほとんど可能性のない人生の中で、直弼が気持ちを切らすことなく精進を続けた事実である。30歳を過ぎるまで可能性のなかった男が、その後とんとん拍子に大老まで上り詰めていくことができたのは、埋木舎時代の人間としての蓄積があったからに他ならない。

ここが埋木舎であることを表す看板がなかったら通り過ぎてしまうであろう質素な門。周囲の景色の中に溶け込んだような空間を、私は恐る恐る潜った。安政の大獄の首謀者として恐れられていた長野主膳も、おそらくは何度も潜ったであろう門だ。

直弼の扶持は三百俵であったと言われている。今のお金にしてどのくらいの金額になるのかはよくわからないが、十四男とは言え、前藩主の嫡男である。その割には質素過ぎる佇まいとの印象を受けた。

ふと気がついて周囲を見回すと、建物の周りには様々な木がセンスよく配置されている。失意の直弼を慰めていたのは、あるいはこれらの木々であったのかもしれない。

玄関の左手から建物に沿って庭の奥へと歩を進める。

部屋数はそれなりにあるが、派手な装飾などは皆無で、あくまでも質素な木造の建物である。中に入ることはできないものの、目の前のこの建物に直弼が起居していたということ。しかもそれが、今からまだ150年ほどしか前のことではないという事実が、直弼を身近な存在にする。

部屋には、直弼が愛用していた食器などの品々が展示されている。湖東焼という土地の焼き物が風趣をそそる。ごくごく地味な生活を直弼は心掛けていたのだろう。歴史の大きな流れから取り残されたエアーポケットのような空間が、この埋木舎である。

この埋木舎で直弼は、何を考え、何をしてきたのか?これが私の最大の関心事である。clip_image006 紀行文写真file 125 埋木舎表門

可能性のない人生であり、だからと言ってあくせく働く必要はない身の上であるから、このまま時に流されて気楽に生きていくことは出来たはずである。もしそのような生き方を直弼がしていたとしたら、彦根藩主となることも叶わなかったかもしれないし、ましてや、幕府の最重要職である大老の役職を務めおおすことはできなかったに違いない。

直弼の心の中には、野望の灯が消えていなかった。

足繁く通ったであろう長野主膳から、時宜を得た洗練された情報がもたらされたかもしれない。そこには、たか女との淡い恋ごころも彩りとして添えられていたかもしれない。私は150年前のまさにこの場所で繰り展げられたであろう様々な事々に、想像を逞しくさせた。

読者の皆さんには、名著「花の生涯」を読んでからこの埋木舎を訪れることを是非お勧めする。願わくば、諸田玲子さんの「奸婦にあらず」も読まれることを。これら直弼にまつわる小説を読んでから訪のう埋木舎は、感慨もまた特別なものとなる。

「花の生涯」は、NHKの大河歴史ドラマの栄えある第一回作品でもある。1963年というから、今からもう45年も前のことになる。その後も何度となくドラマの題材になっている。「花の生涯」についてはまた別稿で採りあげる予定であり今はこれくらいに止めておくが、埋木舎の展示の中にはこの「花の生涯」にまつわるものも多くあり、年配の方であれば感慨もひとしおかもしれない。

直弼は、父直中の死去後に御殿を退去して以来、藩主直(なお)亮(あき)の世子直元逝去に伴い直亮の養子として江戸に上るまでの15年間を、この埋木舎で過ごした。年齢にして17歳から32歳までの時期である。他の兄が他藩の養子として井伊家を去ったりしたことも幸運の一端としてはあった。兄であり藩主であった直亮の世子直元が病弱にして早世したことも、直弼に有利に働いた。しかし私は、これらの幸運が偶然の作用だとは思わない。直弼のそれまでの人知れず続けてきた精進が、徳川譜代の名家井伊家当主の座を自ら引き寄せたということが言えまいか。

世の中をよそに見つつも埋木の

      埋もれておらむ心なき身は -直弼-

すでに四十代を迎えて未だに将来への展望が展けない我が身を振り返って、志を高く持ち常に心の準備を怠らない直弼の生き方が、心に鮮やかに映った。直弼のようにはいかないけれど、心の準備を大切に守りぬいていけば、私のささやかな人生もまだまんざらでもないかもしれない。

幽かだが満たされた心持ちで、私は埋木舎を後にした。門外の位置からお濠を隔てて見上げる彦根城の天守閣が、眩しかった。

 紀行文写真file 122紀行文写真file 137埋木舎庭園