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2009-04
桶狭間と武田信玄
- 2009-04-19 (日)
- 歴史にまつわる話
永禄3年梅雨のころ、駿遠三の領主今川義元が尾張遠征の途、桶狭間で倒れたのは、戦国時代最大のニュースのひとつであったろう。武田信玄にとってもきわめて重大な出来事であった。当時の天下の情勢を考慮すれば、義元の死で最も得をするのが信玄ではなかったか。
今川家は、義元を失ってそれそれこそ大混乱であったであろう。後継の氏親が暗愚なので、なおさらだったであろう。大原崇孚も既になかったし。信玄が領内へ攻め込んできたならたちまち崩れたのではあるまいか。
信玄の動きを牽制できるものがあったであろうか。義元を打った信長は急いで戦場から逃げ帰った。たった34位の兵力で何万もの今川の大軍に包囲でもされたら、それこそ終りだったろう。逃げるしかなかった当時の信長はまだ尾張一国もまともにはまとめ切れていなかったかもしれない。家康に至っては、義元の死によってようやく人質の身分から解放されたばかりというありさまだ。
信玄の宿敵 長尾景虎はその目が関東を向いていた。翌永禄4年にかけて上野うまや橋にあって関東の名将を集め、北条方の勢力を撃破して小田原城を囲んだ。天下の名城は落ちなかったが、鎌倉で関東管領就任式をはなばなしく施行して越後へひきあげた。北条親子(氏康・氏政)は、この景虎の猛攻の前に小田原城を修理して必死でたてこもった。
というわけで信玄の動きを牽制できる者はなく、絶好の機会が永禄4年の夏秋の川中島の合戦まで続いていたわけである。この空前絶後の好機になぜ信玄が今川領を攻めなかったのであろうか。信玄の目は北信濃へ向いていたのか。川中島に海津城を築き前述の如く翌年上杉謙信(長尾景虎)と一大決戦を行うことになる。あるいは、義元の嫁を正室にしていた信玄の嫡男義信が今川攻めに反対したのか。ともかくこの空前の好機は失われ、今川領は人質から解放された家康が信長と同盟をむすんで三河を中心に急速にまとめて行き、信玄の力をもってしてもたやすく奪取できないようになっていく。
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4月のお献立
- 2009-04-08 (水)
- 今月のお献立
☆★:∴: 卯月のお献立 :∴☆★
~季節の会席のご紹介~
【小鉢】 蓬豆腐 土筆 雲丹 山葵 花弁百合根
【前菜】 小鮎甘露煮 蛍烏賊黄身辛子かけ 蛸柔煮 花丸胡瓜諸味噌
一寸豆 豆腐田楽焼き カステラ 柏ノ葉寿司
【刺身】 牡丹蝦 鯛 ヨコ輪 芽物色々
【煮物椀】 桜蒸し 菜の花筍 淡豆
【焼物】 平政西京焼き 蛤新緑焼き 葉地神 キャラ蕗
【鉢物】 鯛荒焚き 豆腐 木の芽
【台物】 海鮮鍋
【止椀】 麦味噌汁
【食事】 近江米
【香味】 糟漬け
【水物】 蕨餅 苺
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曳山タペストリーの謎
4月中旬には、長浜祭りが行われます。
長浜城主だった秀吉によって始められ、秀吉の男児誕生を祝って配られた金を
もとに町衆たちが舞台の付いた曳山をつくり、舞台では子ども歌舞伎が演じら
れるようになりました。
曳山の後面には見送り幕と呼ばれる大きな幕がかけられていますが、12基ある
曳山のうち、翁山と鳳凰山の2基の見送りには、16世紀後半にベルギー地方で
織られたタペストリーが使われています。
翁山の方は2人の武将を中心とした図柄、鳳凰山の方は4人の貴婦人を中心と
した図案です。鳳凰山の法は祇園祭鶏鉾の見送幕や霰天神山の前掛等と本来一
枚のタペストリーだったものを分割、切断した一部であることがわかっており
トロヤ戦争を題材に製作された王連作のうちの一枚だということが解明され
ています。
作者もブリュッセルの二ケイズ・アエルツという職人だとわかりました。翁山
のものも鳳凰山のものも、おそらく桃山時代から江戸時代初期にヨーロッパか
らもたらされたものでしょう。それが長浜の町衆の手に渡ったのは19世紀初
めの文化・文政の頃と言われています。
しかしながら、誰がどのようにしてヨーロッパから持ち込んだものか、そして
、日本へ来てから200年間どこにどのようにしてつたわったものか、謎は、
まだまだ尽きません。
それにしても、秀吉ゆかりの長浜祭りに、秀吉と同時代のヨーロッパで作られ
たタペストリーが飾られているということは、偶然なのでしょうか。秀吉の時
代、日本はヨーロッパと共に歩んでいました。南蛮船が来航し、ヨーロッパの
文物が入ってきて文明開化のような刺激を受けた当時の日本。ヨーロッパと接
しながらも劣等感も感ぜずに豪華絢爛たる安土桃山文化を現出した日本。
その後、徳川時代になり、残念ながら鎖国が始まり、日本は自らの殻の中に閉
じこもってしまいますが、あの輝かしい時代の形見ともいうべきタペストリー
が、今なお秀吉ゆかりの長浜祭りに花を添えているのはなんとも、感慨深いも
のがあります。
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