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2009-03
片桐且元の史跡を歩く・・・
- 2009-03-15 (日)
- 周辺のご案内
片桐且元ゆかりの地は、当館の裏側の山道に集中してあります。朝の散歩を兼ねて、散策してみて下さい。
コースは、歩いて20分もあれば周れます。森林浴もできますし、気持ちいいですよ!!!
須賀谷温泉→神明宮 →観音堂跡→父・孫右衛門の墓→頌徳碑→片桐且元公居館跡
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片桐且元公の里 須賀谷という地名の由来
五大山城の一つ、小谷城は城主浅井亮政・久政・長政 3代の居城であった。
浅井長政は築城の折、この地を家臣の屋敷地と定め地名を選んだ。
家臣の片桐孫右衛門(且元の父)は、この谷に鷹の巣をかける岩があることから巣ヶ谷と改めた(今の須賀谷)。片桐且元公は、1556年(弘治2年)に生まれこの里で育った後、羽柴秀吉の小姓として仕え賎ヶ岳の戦功をはじめ豊臣家の重臣として多大の功績を残し大坂夏の陣後、京都で病死(60歳)、京都の玉林院に葬られる。
神明宮:城主の久政が天文17年(1548年)に建立し現在は当地の氏神として崇拝されている。
観音堂跡は、小谷城3代の守り本尊である仏像が落城での難を避けるため且元公らが城主長政の命を受けこの地に運び降ろし後、ここで祀った堂跡とその石積である。
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小谷山 実宰院(じっさいいん)
須賀谷温泉からそれ程遠くない距離のところに、平塚という20戸足らずの小集落がありその中ほどに実宰院という曹洞宗のお寺があります。
ここには、浅井長政の腹違いの姉、昌安見久尼が開基して住んでいました。
小谷落城(1573年8月)の前夜、浅井長政は、妻お市の方と、茶々、お初、お江の娘3人を小谷山東部の「嫁落としの岩場」から「梯子岩」を経て池奥へ逃れさせ、ここで、用意させておいた野良着に変装させ、坂を経て、北野を通り田川堤を下って、平塚の実宰院に逃れさせ、 長政の姉、昌安見久尼がお市の方と娘たちをかくまったのです。
かくまわれたというだけあって、須賀谷温泉から近いといえども、とても行きにくい、わかりにくい場所にあります。
さて、この浅井三姉妹、父である長政を小谷落城で失い、母お市の方も、その後再婚した柴田勝家とともに、北之庄城(福井)で死んで、全くのみなしごとなってしまったのですが、この三人娘を命がけで守り立派に育て上げたのが 彼女達のおばさんにあたる 昌安見久尼 だったのです。彼女は子育て名人として知られています。仏教の信仰も厚く、また、学問教養にもすぐれていた 見久尼 は、兄長政から託された3人の娘の養育のため、日夜心をくだき、数々の努力を重ねたようです。 寺の中に閉じ込めて学問を子どもに押し付けるのでは、人間として成長できないと考えた見久尼 は、戦国の乱世の底辺で骨身を削って働く農民の姿を見せ、農民と和合させることも大切だと考えました。また、この近辺には、天然記念物(戦国時代にはモチロン指定されていなかった!!!)であるハリヨが今も泳いでいますが、浅井三姉妹もきっと、ハリヨを川で採ったり、タンポポを摘んだり、浅井の恵まれた自然の中ですくすくと育ったことでしょう。
この浅井での心豊かな暮らしがあったからこそ、浅井三姉妹は、後に歴史に名を残す賢明な女性となったのでしょう。
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3月のお献立
- 2009-03-09 (月)
- 今月のお献立
☆★:∴: 弥生のお献立 :∴☆★
~季節の会席のご紹介~
【小鉢】 桜豆腐 土筆 雲丹 山葵 花弁百合根
【前菜】 子鮎甘露煮 蛍烏賊黄身辛子かけ 三段串打ち蝦 蛸柔煮 花丸胡瓜諸味噌
一寸豆 蕗ノ葉上品煮 豆腐田楽焼き のし梅 卯の花和え 鯛手毬寿司
【刺身】 牡丹蝦 鯛 ヨコ輪 芽物色々
【煮物椀】 桜蒸し 筍菜の花 山葵 梅の花びら 淡豆
【焼物】 鰆蕗味噌焼き 蛤新緑焼き 葉地神キャラ蕗
【鉢物】 鯛荒焚き 豆腐 木の芽
【台物】 鴨鍋
【止椀】 麦味噌汁
【食事】 近江米
【香味】 糟漬け
【水物】 蕨餅 苺 キィウィ
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